2017-07-01から1ヶ月間の記事一覧

戦傷

二週間の座った状態で書きつづける戦いを終わり、尻は、赤黒く腫れ上がり、クソはでづ、便秘の状態になる。朝、やまざき中野店へいき、林ままが林洋子、店員が斎藤悦子、客が館野喜夫と話し合う。林ままは、あまり根を詰めないように労いの言葉をかけてくれ…

斎藤商店で

斎藤商店居酒屋のビールボトルである。店長の大川信之さんがレジの写真をと頼んだが断られビールボトルとなった。水島あやみさんへ昨夜ラブーレターを書けといゆのでメールを送った。「書けるかかなあ。変死変死しいあ、恋しい恋しいか、貴女の勇気が老人に…

私の始まりの刻

節子にならい私も、原稿用紙に向かう。何が書き上がるのやら、それでも、200枚を書いた。意味が通じるのやら、何かを世に問いたい意志の現れである。

和田帝釈天

杉並区和田にある帝釈天に毎朝、お経を年寄りが居る。小長谷誠屋商店、普通の老人であるが只者ではない次男は、東工大教授小長谷明彦、孫は筑波大学から京大の研究生、たあしたもんだと感心する。

嬉しい波紋

今日、時間がないのに和田堀診療所まで出向いた。主治医の中丸優子先生が今井節子著「島崎藤村研究」と私の手紙を読んで私も共立女子大の中等部と笑顔を向けてくれて嬉しい波紋と喜んだ。今井節子は生きていると思った。今井節子は、共立女子大文芸学部大学…

私の家の庭

私のちさな家のちさな庭を、講堂館8段の偉い先生が溝井賢治が働き綺麗にしてくれた。暑いのにやはり偉いと感謝する。

今井家のグループ誕生

大原さんちの庭である。直接は、関係ないが独居住まいの私には、長男夫妻、孫、次男の4人の人が日本のどこかで毎日息をしている。その杉並の家に次男が来訪して、家族全員のネットワークをつくつてくれた。嬉しいことである。何といっても孫と話せるのは、一…

赤ちゃんポスト

今井節子著「島崎藤村研究」の出版を終える。完成は、いろいろな反響があった。節子の実家とも話し合えるようにようにんった。節子が表した「始まりの刻」は私が引き継ぐことになった。私は、手紙に託し大橋佐知子さんに決意を綴った手紙を投函した。

私の今日一日の食料

私の日課は、やまざきへ買出しにいくことから始まる。ドクーター赤松氏は、めだちやがりの政治家?当選することは、なかった。毎日の食材をブログにアップした。ケアマネジャーが訪問する。ヘルパーさんも訪問する。何通かの手紙を書いて終わりそう。まだ食…

命の水

毎日スーパーやまざき中野店林店で食料とタバコ、お〜いお茶を買う。三年半前妻が亡くなり途方にくれた。やまざきは、いいお客。私の命を支えるのは、お〜いお茶である。バカにはなららない私の命の水である。

お盆の中日

お盆の中日である。お花と大橋佐知子さんが届けてくれた供養物を供え、山形の金子義兄からのハガキを供え節子に報告した。節子が私を理解しようと書き始めた「始まりの刻」長く苦しみを与えてしまった私の統合失失調症といゆう精神疾患がなせる技、まとまり…

海了寺

田舎の本家の菩提樹から枝だまめが届いた。暑中見舞も届き、長年に渡り出版に力を注いだことは大変ご苦労さまでした。誰しも出来る事ではないと思います。との「島崎藤村研究」への礼状と今井家の取り組んできた亡き妻節子への評価であろう。有難くおいしい…

藤村記念館へ

今井節子著「島崎藤村研究」は、ついに本丸である藤村記念館へ、「始まりの刻」始まる物語は、佳境を迎えようとしている。この部屋から節子とともに歩んできた著者は、あの世から私を見てどうにか生きているかと語りかけている。この部屋にある節子の遺影は…

国立国会図書館へ

今井節子著「島崎藤村研究」「始まりの刻」「るつぼ」「らせん」は国会図書館へ納めることになった。また母校の山形県立東高等学校図書館へ納めることが決まった。節子は、私の妻であった。私が慶応大学病院で精神疾患の発症の時を綴ったのが「始まりの刻」…

五六八

今日は、京橋メンタルクリニックへいく。三十八年目、長く苦しい毎日、精神疾患の私、多くの健常者が支える。節子が亡くなり、一人での生活も4年が過ぎる。主治医とカウンセラー私を知る。節子の「島崎藤村研究」をわたせた。夜には、みさと先生と飲む。五六…

二人の友人

みさとのアップデイトと斎藤商店のアップデイトが入り混じる。今日は、二人の友人に出会った。一人は、私の自宅へ尋ねたくれた友人吉田さんである。囲碁を楽しみ斎藤商店へ、楽しい経済論であった。もう一人は、よちゃんである。いろいろよちゃんカカある。…

二つの嬉しいこと

私の二つの嬉しいこと、運動をする三ヶ月ぶりに復活した仲間、戸谷守男がお父さんの話をし始めた。いろいろあったであろう戸谷家、父金三郎のこと芝に生まれ、祖先は武士で現役時代は、相撲取り退役後右翼の大物に可愛がられ、今の杉並の所在地に居を構えた…

大原富江

大原さん家で囲碁をやっている。そこで 囲碁を楽しむ。相手は弱くともよしとしなければ。大原さんの家は、ごく近所である。生協が借り受けてやっている。大原富江は、代表作「えんといゆう女」で生前を知る近所の著名じんである。その場所があるだけでも有難…

幼なじみ浦野正雄来訪

私の幼なじみ浦野正雄が斎藤商店に来訪した。斎藤商店は、開店2周年の行きつけの居酒屋である。正雄は、長い付き合いである。伊藤忠と正雄の企業が合弁会社の常任取締役へ正雄がついた。その余制もかつて、正雄は、いつになく饒舌である。2時間ほどの講義を…

梅さとの湯

うめさとの湯、介護施設である。お風呂が主体の施設である。私と話す昭和9年生まれの老人である。若いとき質屋を営むといゆう。杉並区堀のうちとしてでは、大高一族として名高い老人である。戦後の動乱期よく儲けたといゆう。介護施設での話は、昔はなしが多…

自宅

自宅、慶応大学に勤め20年ローンで買った自宅である。節子が、長男が、次男が、今は、自立支援法と介護制度を利用し独居の生活である。まあまあ〜これで満足しなければ、神様に怒られる。

やまざき

私の生活を支えたやまざきである。毎日通う。そこに働くママさん、店員と人生の流れでであろう。人間関係、そして地域での人々に結びつく。確実に私の生活は広がっている。これも一重に私を支える人々に感謝しなければならない。次男の存在がこれほど大きい…

仕事の終わり

今井節子の出版、島崎藤村研究も終わりに近づいている。池田先生に出版の総括も手紙にした。達成感は、十分にある。これからは、囲碁でもやりながらボチボチその日暮らしである。先生との約束でもあり、十分節子の供養になったと思う。10通の礼状も今日出…

2通の手紙

今日は、2通の手紙を書いた。今日も画像のアップはできなかった。それでも2通の手紙は、谷田隆男先生へ小池百合子の都民ファーストの会の大勝を受けて古い柔道の先生へのものである。保守本流を考えて欲しいと書いた。もう1通は、長男健士あてにこの部屋で頑…

都議会選挙

七月二日は、私の六十九歳の誕生日である。都議会選挙の日でもある。私が投票した候補は破れた。自民が大敗し、小池百合子の都民ファーストの会、大勝、喜ばしいことである。既成政党からの脱却が世の中の流れである。

友の復活

まだすまほとパソコンは、結びつかない。みさとの画像しかアップできない。今日は、嬉しいことがあった。介護施設の運動をしに相棒が戻ってきた。三ヶ月ぶりに見る友の姿。嬉しかった。いろいろ話もあるが今日のところは、様子見。入退院を繰り返す友、頑張…