大高一族


梅里の湯の送迎車のラヂオである。私の記事は、大高盛岳さんの世間話から始まる。管理者は、記事にすることを心配する。世間話は続く。大高さんがいうには、この世間話を使ってお金儲けや悪いことに使わなければよいという。心配は、ないであろう。朝日新聞のようにこのブログは購読料はとっていないし、あくままでも私と大高さんの世間話であるから。兄貴盛岳さんと隣の正朝さんが平清盛源頼朝の一字をとつて命名されたと言うだけである。ただそれだけ、良くある話である。話は、家系図へと進む。太平洋戦争の東京空襲で焼けたという。では、お寺は、と聞くと妙法寺だという。300年の歴史でその前のは、中野の中野坂上にほうせん寺がこの界隈ではもっとも古いという。古文書があれば盛岳と正朝の親の関係が分かるのであるが何かがあったはずと推測されるはずである。世間話は、この程度で終わる。送迎の車ラヂオは役立たず各局の放送は聞けないという、これも運転手話である。まとまりのない世間話である。それにしても大高一族の2000年の歴史はもったいない。