我が誇れる次男は立派だつた


私の次男の通った保育園である。彼は、和田保育園を卒園した。節子が「帰ろうよ」と言っても積み木の山へ挑戦しづけた。節子は死んで3年10ヶ月。共働きでも帰る時間を待ち続けた妻も偉かった。その彼は、私のために杉並の実家へ呼び出される。忙しい時間を割いて私のパソコンとスマフぉを私の希望をああ叶える。彼は、その後和田小、杉並第十中、杉並高、芝浦工業大学奈良先端疑技実術大学院大学の情報学科へ学ぶ。そして、節子の死後「らせん」遺稿集を編纂した。現在彼は、人工知能を使うひとりで立ち上げた会社を経営する。人工知能のプロである。私などは、彼からすれば赤ちやんである。仕事後は、親子の会話もなく居酒屋斎藤商店で飯を食い、熱く語る経済情勢、政治情勢、老人、若者、そして自身のいまおかれて職業 、スター的存在なのに、和田保育園の姿勢を崩さぬ彼に、次男という息子ながら感服する。これからの来るべき日本、世界へ向けて発信続ける我が息子に誇りを感じる。私も頑張らねば、斎藤商店帰宅に変な珍客もあった。日本は、平和である。その珍客は、私に何を求め、沖縄のこと、ハグを繰り返し私を求めた。