人工知能


一生矢部さんである。介護度4、いっものとうり私の玄関のチャイムがなる。梅里の湯介護施設の迎えである。今日は、スマホの先生の矢ー部さんに会える。私は喜んだ。むかへの車は、矢部さん宅へ。長い待ち時間。いっもの事である。お待たせ矢部さんのふじゅうな足で懸命の歩きである。体がふじゅうだが、矢部さんの頭は、健在である。そして話始める。区役所の多くの人たちが認知症の母の後見人を。矢部さんとお母さんの住居、その財産をお金に替え施設へ入れる狙いがあることを。私のケアマーネイジャーもそうだが資本主義、最後は、お金である。矢部さんは、このお母さんとこれからどういう運命たどるかはしれぬ。弱い弱い立場に代わりない。それを食い物にする介護制度のもとにだましあいの資本主義に巻き込まれるのは介護度1の私もまた老後破産を恐れる。帰り道、私の次男の人工知能に関する発想は、素晴らしく私を清生させた。お金だお金だ猫も杓子も。そして介護制度もとどの詰まりお金のなのである。お金に支配される矢部さんそして私、11日来訪するプロの人工知能で飯を食っている次男は、私に何をもたらすのか?矢部さんのアメリカの先進的なアマゾンという超大企業の考えへを次男と語り合えるのが楽しめである。