本音と建前そして二重価格の証明

早朝、村上邸へ節子の本三冊と慶応の先輩である「むうちゃん」へつづた手紙を届け線香をあげてきた。息子は、慶応の文学部哲学科ときく、会えるのが楽しみである。帰宅後、起用橋メンタルクリニックの須賀さんへ二重価格の証明ができたという連絡をした。慶応の恥という長島守が使った手口は今の時代にも生きる。しかし今の時代個人情報保護法、悔悟制度、自律支援法、法治国家である。だから法律のスペシャリストの仕事は、高い報酬を約されている。権力機構は、総理から末端の人々まで、支配される、支配する人間に分かれる。教育格差、こどもの六人に一人の貧困の問題などは、目を被いたくなる。資本主義なのもと、いっの時代にも、強い人間と弱い人間は存在する。本当に強い人間は、物事の本質を見抜く。そして人間の声を聞く。下手な組織では、一生がだいなしである。私は、こんど書き上げた原稿300枚は、恥も外聞もなく、ただ逃げる。そして生き続ける。表側は、統合失調症、裏側は、経済学、完全に分裂状態の一生である。結論として、力、法律では、解決されない。心の問題である。死ゆ今日であろう。なあ節子よ「お前は私に、何を望んでるのだ」戦うことを止め、仏に迎えとか?それでも私の心は、戦いと仏を望む。しょうの内陣生なのである。本音と建前、現代社会の暗部であろう。