村上氏死すと聞く

私が若いとき、可愛がってもらった「むうちゃん」こと村上さんが八月亡く成ったとききき、午前さまで尋ねた。案の定、夜なので断られた。明日いかなければ成らぬ。線香一本をと望むことは、常識外である。近所で、生前の彼は、慶応大学を誇りに思っていた。私を節子を真に可愛がった。期待には、生前答えられなかった。私は、今日、資本主義を学んだ。「いろは」居酒屋でのんだ。ばあやん、けんちゃんもかけっけつけてくれた。マスター店主は、村上さんの死を告げた。帰り道、私は、さびしさのため死者にもすがりたい今の気持ちで、村上邸を尋ねた。夜遅いのでと言う。私が常識外なのでしょうない。あすにしょう。ばあちゃん、けんも元気であった。心休まるところは、昔の杵ずかである。なああ節子よ、また一人、節子の仲間がふえたなああ?