さけとおんな

おとこは、みがってである。わたしも、ぞくなおとこである。おとこどうしは、また、ゆうじょうとか、かつこをっけてはなしあうが、けっきょうくは、おれがおれがになってしまう。ふうふは、おとことおんなである。しかしげんだいは、おとこどうし、または、おんなどうしで、せいてきなかんけいをもつてもおかしくないじだいである。おとこどうしがたたかう、そのうらには、おんながいる。おんなどうしがたたかうと、えくすたしーにいたる。おとこは、ぜんきんだてきな、いえせいどによってうらがわに

さけとおんながいる。いまのろしや、うくらいなしんこうや、はますといすらえるせんそうは、いみんぞくによるにくしみである。ぷちんには、あいじんがいる。そのようにれきしは、かならずさけとおんながうらがわにいる。さけとおんなには、いぞんせいがある。あるこーるいぞん、おんないぞん、おとこいぞん、そこからは、うらみしかうまれない。わたくしは、とうごしょうしよしっかんでだれかにはんだんしてもらわないとうごけない。むせきにんなおとこである。にげるがかちと、たたかわずすぐにげる。じぶんとむきあわないのである。ながくくるしじだいである。それは、もそうとしてかたちずく。。おかねでかたちずくられたしほんしゅぎ、おかねはだいぎである。さいていちんぎんが、いちぎじかんせんえんとゆといゆう。おんなとさけはたかい。とてっもなくたかい。みずしょうばい、おんなのからだをうるしょうばいは、もっとたかい。このかんけいは、うらみつらみの、にくしみ、でいりきんし、にんげんのたたかいは、はじまる。

うらみをうるか、おらみをかうか、せんそうのはじまりである。